| 【九谷ジャズ・ファン・クラブ(KJFC)とは】 |
| 九谷ジャズ・ファン・クラブ(略してKJFC)は、1970年代の後半、日本橋茅場町にあった洋菓子喫茶“九谷”で、近くの会社に勤めているサラリーマンや住民など、いわゆる常連を中心として自然発生した会です。 “九谷”のオーナーである坂本氏一家の御好意により、店内にオーディオ機器を持ち込み、ジャズファンが自分の好きなレコードを持ち寄って、聴きながらビールやコーヒーを飲み、おしゃべりや演奏を楽しむ会でした。 活動の中心はこの定例レコード・コンサートで、正式にスタートした1978年3月11日の第1回から1982年12月までは毎週金曜日に、1983年から1984年3月までは第1と第3金曜日の月2回行われ、通算では253回を数えました。 1982年5月号のスイング・ジャーナル誌にクラブの紹介記事が掲載されました。またこの年から会報である“KJFC通信”を発行(1983年9月20日発行の第6号で休刊、1999年2月からは“GROOVY”と名称を変更して再開)、会員の親睦をはかっています。 1983年5月には茨城県御前山の青少年キャンプ村へ1泊2日の合宿を行いました。その後、年1回の合宿は約10年間続きました。 この他に会員の中の有志でコンサートやライブハウスへ出掛けたりしていましたが、自分たちの手作りライブも主催しました。KJFCが主催したライブ・コンサートは、下記のように現在まで、合計12回行われています。 |
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| 第1回 | 1979年9月26日 | “九谷” | 小西徹トリオ〔小西徹(g),伊藤潮(b),岩本龍夫(ds)〕 |
| 第2回 | 82年9月26日 | ライブハウス “1933” | 塚原小太郎トリオ 塚原小太郎(p),山口雄三(b),原口有生(ds) |
| 第3回 | 82年12月3日 | “九谷” | 小西徹トリオ〔小西徹(g)、伊藤潮(b)、波辺雅介(ds)〕 |
| 第4回 | 98年10月4日 | JAZZ JANOME」 | 遠藤律子(p),大友義雄(as),酒井一郎(b),細野義彦(g),佐藤節雄(ds),谷由紀子(vo) |
| 第5回 | 99年9月26日 | 東急テレビジョンホール | 伊藤潮(b),塚原小太郎(p),田辺充邦(g),小島勉(ds), 谷由起子(vo) |
| 第6回 | 00年10月15日 | ライブハウス六本木『BASH』 | 太田剣(ss,as),田中信正(p),山田晃路(b), 大槻’カルタ’英宣(ds) |
| 第7回 | 01年5月27日 | 横浜ドルフィー | 赤坂由香利(p,vo),古野光昭(b)、久米雅之(ds) |
| 第8回 | 01年11月18日 | 横浜ドルフィー | 井上淑彦(ts,ss),田中信正(p),坂井紅介(b),つの犬(ds) |
| 第9回 | 02年8月3日 | お茶の水スタインウェイサロン | 田中信正(p),森下滋(p) |
| 第10回 | 02年11月24日 | 横浜ドルフィー | 田中信正(p),さがゆき(vo) |
| 第11回 | 03年10月18日 | 横浜ドルフィー | 中川 武&ホットペッパーズ |
| 第12回 | 06年9月10日 | 横浜ドルフィー | 遠藤律子(p),山口彰(b),稲垣貴庸(ds) |
このうち特に、1997年11月に惜しくも亡くなられた小西徹さんとKJFC会員の関係は、プレイヤーとファンの関係を越えて、本当の意味での“ソウル・ブラザー”でした。劣悪な条件でのライブを快く引き受けていただいただけでなく、魂のほとばしる演奏をしていただきました。御自宅にも数回遊びに行かせていただきました。ライブで残された400分近いテープを編集し、ご遺族や小西さんの良きパートナーであった伊藤潮さんらと協力して、1999年秋に「TORU
KONISHI A-LIFE」という追悼盤CDを制作し、JAZZ-CATレコードより発売いたしました。小西さんと会員の心は永遠に強い“絆”で結ばれています。
1984年に、事情があって“九谷”から撤退する事になり、数年間は場所を移しながらレコード・コンサートを継続していました。1998年10月より、マスターの御好意により、文京区白山にあるジャズ・スポット『映画館』において毎月第3金曜日(翌日が第4土曜の場合は第2金曜日)午後7時より定例のレコード・コンサートを再開する事になりました。
やはりマスターのご好意で毎月第4土曜日の午後7時から銀座の『JAZZ
COUNTRY』でレコード・コンサートを開催しています。
現在の会員数は19名。小さな手作りのジャズ・ファン・クラブです。